タイ芸術

タイのカフェ、3Dプリンターであなたの顔をパンケーキに

タイの通りに座って、自分の両目を見ながら考えています。左目と右目、どちらから食べようか、と。別に血まみれの悪夢にうなされているわけではありません。パンケーキの表面に描かれた自分の顔とにらめっこしていただけです。

実際、チェンマイの繁華街に、自分の顔をパンケーキに描いてもらえるカフェがあります。自撮り写真を送るだけで、生地上にあなたの顔を細部まで忠実に再現してくれるのです。

自分の顔をパンケーキに描いてくれる場所はそう多くありません。ただし、タイ北部のショッピングセンターだけは例外でしょう。下着販売店やワニ革のコピー商品を扱う店の隣に建つ、この商魂たくましい殿堂の3階にひっそりと店を構えているのがASカフェです。

世界中にあるこの種の数少ない場所の一つASカフェは、3Dプリンターとパンケーキ職人の手作業を組み合わせて、自撮り写真をバターで再現しています。

その工程は、まずトッピング選びから。クラシックシロップ、バターシロップ、メープルシロップのなかから選びます。顔にアイスクリームやフルーツをたっぷりとかけることもできます。次に、ああでもないこうでもないと表情を変えながら20分ほどで自分の顔を自撮りします。いろいろと考えて、顔や髪の毛や眼鏡を付け加えることもできます。スナップチャットフィルターはお勧めしません。準備が出来たら、所定のアドレスに写真をメール送信しましょう。

興味深げに見つめる店員を傍目に、私と友人たちは写真用にぎこちないポーズをとりながら、ばかみたいに笑顔を作ります。次にパンケーキ職人のWaanさんがボトルにバターを詰め込み、3Dプリンターが顔の輪郭をスムーズに描いていきます。ところが、途中までいったところで急に動かなくなり(どうやら私の顔がプリンターを壊してしまったようです)、Waanさんは困惑の表情。彼女はボトルをトントンと叩いて、バターを詰め直し、作業を再開しました。

Waanさんは、彼女のスマホ画面にある私の笑顔の写真をよく見て、眉に皺を寄せています。彼女は大小さまざまのバターノズルを使って私の顔を描いています。その表情は真剣そのものです。そう見えるのも無理はありません。恐るべき集中力を要する作業ですから。いろいろと計算しているのはもちろんです。Waanさんは、私の髪の毛や顔の凹凸をはっきりと描こうとバターノズルを慎重に操っています。こうして、パンケーキの輪郭が出来上がります。

途中、歯の輪郭だけが完成した状態を見ると、私の表情は痩せこけたダースベーダーのようで、あまり気分のよいものではありません。

「パンケーキ作りがどれほど難しいことか。一つ一つ手作りですが、どなたであれ、その方の特徴を忠実に描かなくてはなりませんから」とWaanさんは言います。私は我慢して、じっと待ちます。私の鼻が魅力的に見え始めてきます。

ASカフェがオープンして1年余りになります。もう一人のパンケーキ職人Gikさんは、大学でマルチメディア・アートを学び、二人ともこの仕事のために3カ月間修業しました。その短さたるや驚異的です。その腕前たるや印象的です。二人のもとには、ペットのパンケーキを作ってほしいという注文が毎日のように届くそうです。いちばん珍しい注文について訊ねると……

「いちばんびっくりしたのが、山羊のパンケーキでした。その御婦人が申されるには、『きのう山羊に襲われたの。だから今日は私が山羊を食べてやるわ!』と」

そうこうするうちに、私たちのパンケーキが完成しました。特にファンファーレもなく、味気ない白いプレートに載せられて配達されます。眉はシロップで、鼻と頬はバターで厚化粧されています。結局、自分の顔を食べるというのは、奇妙で、意外に憂鬱なものです。パンケーキ上の私の両目は悲しげに見えたので、最後まで取っておくことにしました。少し考えてから、最初は頬から食べることにしました。

パンケーキに印刷された顔を見ていると、あれやこれやといった実存的な思いに駆られます。「眼鏡をかけていればよく見えたのだろうか?」「あの大きなIRLは本当に私の鼻なのだろうか?」「どうして私の鼻がプリンターを壊したのだろうか?」等々。

友人の一人は、彼女のパンケーキの顔を見ながら、「私って父親似なんだ」と言いました。

「パンケーキの私って見栄えがいいわ」ともう一人の友人は言いました。

「ぼくは90パーセントが髪の毛だ」と三番目の友人が言いました。

私たちは皆、パンケーキを使って、いろいろなヘアスタイルを試してみました。完全に加熱調理された生地を切って、自分たちの髪型をボブやピクシーにしたらどういう感じなのかを見るために。ふと私は、パンケーキの自分が、食べてしまえば跡形もなくなる千年に一度の儚き空しさの実に究極のものだという気がしました。

美味なる千年に一度の儚き空しさです。